旅の続き


今からもう10年も前の夏の話。

中学生の頃に見た「青年は荒野を目指す」というドラマが忘れられず、まだ見たことのない海の向こうの世界を生きているうちに感じたいと思い立ち、モンスーン吹き荒れるインドへ旅立った。何故インドか?と言われるとただなんとなく。本当にそれだけだった。

知らない言葉が飛び交う中で、現地の人たちと同じように暮らしてみたい。
そんな思いから、国内外からボランティアの受け入れをしているNGOを通してホームステイ先の家と、異文化交流員として迎えてくれる特別支援学校を紹介してもらった。

日本を経って長い時間長距離バスに揺られてたどり着いたkundapuraという村の「hotel shalon」。

そこで初めて出会ったシュリという名前の同じ年のオーストリア人とその夜意気投合し、薄暗いバーでビールを飲んだ。英語が上手くない自分はただただ「うんうん」とうなずいているだけだったが、嬉しそうに旅の話をするシュリの生活価値観はその時の自分と同じだった。



不思議な縁でシュリとはその後「chaitanya special school」というところで活動を共にし、その学校の先生をしているリラの家で共に生活することに。

リラの家は素朴な村のちいさな家で、水道はなく家の裏に大きな井戸から水をくみ生活に使う。庭にある大きな洗濯石で毎日服をあらった。
毎朝、毎晩リラのつくるカレーを食べて夜寝る前はクリスチャンの家族だったのでお祈りをして握手してから寝床についた。

シュリとは毎日行動を共にした。
持ち寄った楽器でセッションしたり、寝る前は何もない村の夜空を見ながらblistolというキツイ煙草を「グッナイシガレット」と呼んで一服して語り合った。
雨の似合う男は、裸足であるくことを好み、モンスーンに打たれても自然を楽しんでいるようだった。


困ったことが起きると決まって「it's life (それが人生だ)」 と言って笑っていた。
この言葉はそこからの僕の生きる上でとても大切な意味を持つ言葉になった。



土を越してセメントをつくったり。

夜道を迷って、ヒッチハイカーになってトラックの運転手に救われたり。

ココナッツを削るところから料理を手伝ったり。

移動のバスがやたらとはみ出していたり、


高いお金を出していいホテルへ泊まるより、
数百円で泊まれる宿を冒険してみたかったり。


見送りに来てくれて涙の別れをしたはずなのに、18時間電車が平気で遅れてきて涙が流し損だったり。

その夏は僕にとって一生忘れられない時間になった。

日本の素晴らしさを改めて知ったと同時に、
この地での生活の豊かさを身に染みて知ったことを機に
そこからの生き方を考える地図のようなものができた。


何年も音信普通だったシュリから先日1通のメールが届いた。
そこには新しい家族と共に今も彼らしく生きていることが記されていた。

「雨の似合うあなたを忘れない」と返信のメールに一言添えた。
すると返事が返ってきて
生まれてきた2人の名付けた娘の名前はmona deniz(海)とlucia yagmur(雨)だと。
何故だか涙がでてきた。

今僕がわたねとして「農」ある暮らしをしていると言ったら、とても喜んでくれていた。
いつかその景色を見てみたいと。
今の暮らしはその夏に僕が過ごしたあの場所の暮らしと繋がっている。

再び元気な姿で会えるその日がくることを願って。

                               祐樹




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